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一般社団法人日本染色協会

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 About the Industry 染色加工業とは
十字路科学の染色振興で近代産業、工業教育を振興した。

明治維新の成功は近代染色技術の発展によって、実現したと言ってよいでしょう。

近代染色を可能にした合成染料は天然染料と同じ使い方をすると、染色は失敗します。明治初期に合成染料の輸入が増加しましたが、当時の日本の染め屋さんは、使い方がわからず途方に暮れました。

日本人に合成染料の正しい使用方法を教えたのはドイツから招かれたワグネル(英名ワグナー)という人です。彼は1868年(明治元年)に京都舎密局に招かれ、多数の日本人に幅広い化学を教えました。

彼は日本人に系統的に化学を理解してもらうため、京都舎密局に染色実験場を作りました。

日本人に化学を教えたのは、ワグネルだけではありません。幕末の慶応元年に陸軍奉行所の教官として、オランダ人のハラタマが理科、化学を日本人に教えました。彼は明治2年に大阪の開成学校の教官になっています。

明治7年に英国人のダイバース博士とアトチンソンが日本の化学教育で大きく貢献しまし た。

日本からも松井直吉(後に博士)が明治13年、5ヶ年の米国留学を終え、日本の化学教 育に力を入れました。特に合成染料による染色は日本の近代化学発展の柱になるとして、日本政府は染色の技術振興に力を入れました。

一方、織物業も明治時代に入って、手織り生産から、動力利用の機械化によって、大量生産を可能にしました。

家内工業型の織物生産が機械生産型へ発展するのを促進したのは染色です。なぜなら染色は数多い物理知識と化学知識とを融合させる大実験場になったからです。

それが原動力になって、日本経済は近代化へ快走しました。

2000年代に入って本格化したIT革命に匹敵するぐらいの産業革命を引き起こしたといってよいでしょう。

つまり明治時代において、染色は数多い学問分野を結び合わす広い意味の十字路科学の場となったといってよいでしょう。

明治時代に、染色から、数多い産業と各種工学教育機関の増加を誘発させたことを見落としてはいけません。

数十年前より、染色工業が繊維産業のキー・インダストリー(産業のカナメ)だといわれていますが、この言葉は、このページで思いつきで表現したのではなく、これまでの歴史的経過で染色が極めて重要な役割を果たしてきたからこそ、名づけられたといってよいでしょう。

以後、このページでは、21世紀型テキスタイル・マーチャンダイジング(MD)で、何が重要で、何を成すべきか、これまでの歴史ドラマをまじえて色々と考える材料を、皆様に連載でご提供させていただきます。

(K.S)

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