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一般社団法人日本染色協会

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伝統的工芸染色は個人技

近代染色は組織力で

伝統的染色工芸は個人技によるもの、それに対して近代染色は多くの学問分野を結集した組織力による染色と定義づけてよいだろう。

欧州では1856年に英国人パーキンが合成染料(モーブを)発明するまで、染色は個人技による染色時代であった。日本では幕末に欧州から合成染料が入り込むまで個人技の染色時代だったといえるだろう。

個人技の染色時代は、各種の天然の植物、特殊な貝などを染料として染色していた。欧州でも同様であった。

そのような天然色剤を使って被染物に色を定着させるためには特別な技術が必要であった。そのため欧州や日本では特殊な染め方は秘伝扱いになっていた事例が多い。それについては中国でも同様である。

19世紀の欧州では、個人技による染色処方は特定の人にのみ伝承するルールを固く守っていた。それについて平成10年1月1日付の染織経済新聞17面でパウル・リヒター博士(BASF応用技術研究所幹部として活躍した人)が当時のドイツの染色職人について書かれているので、その一部を紹介しよう。

「ドイツの染色職人はマイスター制度の典型的な職種だった。マイスターは自分が保有する染色処方を秘密にし、自分の子息やマイスター資格を得た特定の人物にだけ、秘法を与えた。」特定の人しか技術を伝承させなかったと書いている。

新しく染色マイスターを志す人も、相当の努力を必要とした。それについて、リヒター博士は次のように紹介している。「全徒弟期間中、給料は支給されなかった。逆に保証人が職場の親方に多額の金を支払う必要があった。染色徒弟人になるためには、立派な保証人を必要としていた。徒弟期間は厳しかった。先輩から叱られるだけにとどまらず、殴られたり、苦しい仕事を押し付けられたりした。年上の徒弟者によるいじめも多かった。休息は日曜日の午前中、教会に行く時間だけであった。徒弟期間が終わると2−3年間、他の同業の職場(自分の故郷から50km、又は100km以上、離れた職場)に従事することを原則にした。他の同業者で仕事することを旅職人と称された。その仕事期間を修了すると、マイスター試験を受験する資格を得た。

日本でも、これに少し似た制度が幕末までの天然染料使いの染色徒弟制度で実施されていた。

19世紀時代まで欧州や、幕末までの日本の染色徒弟制度は個人技術の能力が高く評価されていた。天然染料を使う染色技術でも、経験によって得られる化学知識がなければ素晴らしい染色が出来なかったからである。だからこそ、その技法は社会の人々から高く評価されていたのである。

その技法の一例としてリヒター博士は19世紀のマイスターの一人であったヤコブ・ベッヒトルドの染色処方例を次のように紹介している。

「絹の鮮明赤染めとして、絹衣料は20Lの水に16gの硝酸第二錫を加えた媒染液中に室温で24時間放置する。最後に錫メッキした染槽中のコチニール70gと酸性酒石酸カリ32gを加えた新しい浴で、温度を段階的に上昇し、95℃まで加熱する。冷却後、ゆすいでマルセル石鹸で絹鳴り仕上げする」(染織経済新聞、平成10年1月1日付、7面)。

(注)=コチニールはサボテンに寄生するカイガラ虫を採取し、乾燥したもの。産出はカナリア諸島、メキシコ。

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