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誰が近代色染学を形成したのか、染色の道に進む人は、是非とも知っておく必要がある。「西田博太郎伝」によると、近代色染学の形成で貢献した偉大な人物はハムメルと、その親友であり高弟でもあったエドモンド・クネヒトだったと評している。
日本では今は亡き捺染技術のエキスパートだった野々村良太郎氏(元和歌山染工(株)技術部長)もクネヒトの色染学を愛好した一人であった。
色染の技は遠く有史以前に見つけ出されていたが、化学の発達に恵まれなかったため、学術の探求に進まず、技工の範囲にとどまっていた。
化学が発達し始めたから18世紀の中頃から、色染の技を技工の範囲から、ぼつぼつ学問的に結びつける動きが欧州で芽生え始めた。
19世紀後半に至って、ハムメルが色染術とその学理を系統的に組立て始めた。ハムメルは色染学専攻の学者を多く育てた。ハムメル門下生として有名な人は、ハムメルの友人で高弟でもあったのがエドモンド・クネヒト、そして英国のパーキン、ガードナーがあげられる。日本では高松豊吉、吉武栄之進などがハムメルの学問的影響を受け大成した学者たちであった。これら学者の増加で色染学が大成するに至った。
それを体系化したのがクネヒトである。西田博太郎伝は「特にハムメルの友人で高弟でもあったのがエドモンド・クネヒトの功績は大きい」と伝えている。
クネヒトは色染学の発表論文を好んでドイツ語で行なったので、ドイツ人かオーストリア人ではないかと間違えられたりしたが、クネヒトは生粋の英国リバプール生まれの英国人で、理学博士のグスタブ・クネヒトの息子として生まれている。
エドモンド・クネヒトは父に伴われ、スイスに移り住んだ。チューリッヒ大学に学び、卒業後、新設の英国マンチェスター高等工業学校色染科長に就任している。この学校は後にマンチェスター工業大学になった。クネヒトは英国へ帰国後、生涯にわたって色染学の教育と色染化学の学会で活動し、学会の発展に奉げた。多くの著書を残した。
彼がまとめた色染全書は色染を学ぶ人たちにとっては、貴重なバイブルになった。