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一般社団法人日本染色協会

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ミュールハウゼンの影響受けた和歌山

和歌山で捺染が発展した理由の一つとして、西田博太郎博士を通じて理論的なものが注入されたことが挙げられる。この学問的注入のすべてが西田博太郎博士によるものとはいえないが、同博士が和歌山捺染加工業に大きく貢献したことは否定できない。

西田博太郎博士は文部省から染色・染料の研究調査のため欧州へ派遣され、欧州の各学校へ留学、染色技術を学んだことは有名である。

西田博士はドイツのミュールハウゼン市立化学専門学校でも学んでいる(1905年)。その前年にはドイツ・フランクフルトのカセラ染料製造(株)で染料製造法を学び、その前には英国マンチェスター高等工業学校で学んだ。この英国マンチェスター高等工業学校で、西田博士はクネヒトから親しく学ぶ機会を得た。西田博士は同校で色染・漂白を学んでいる。

カセラ社滞在時、西田博士は優秀な人材と見られて、東洋担当の主任技師になってほしいと頼まれたりしている。

西田博太郎博士の伝記によると、「ミュールハウゼン市立化学専門学校でネルチング博士、シュミットらから学ぶものが多かった。特に捺染学でアンリ・シュミット講師から学ぶべきものが多く、マンチェスターのクネヒトの教えと系統的に結びつくものを数多く学び取った」という。

後に、西田博士が和歌山の捺染技術に何度か貢献出来たのは、シュミットの助手をつとめた結果によるものと伝記で伝えている。

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