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一般社団法人日本染色協会

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 About the Industry 染色加工業とは
日本でスクリーン捺染技術は1930年代で実用化された

近代的なテキスタイル捺染は明治時代の後半に動力を用いたローラ捺染機の導入で綿布やモスリンの捺染が盛んになった。

当時、18世紀産業革命以来、英国で代表的事業となっていた綿布のローラ捺染(動力利用)に注目した日本の繊維生産者は、高利益を上げられるということで、日本も明治に入って追随する基礎を作った。明治の後半で、モスリンも手作業による友禅加工を脱して、ローラ捺染方式へ転換したことで大量のモスリン捺染加工量を可能にした。

動力式ローラ捺染は金属ロール(回転する)上に模様を手彫りで彫刻し、その表面に、たっぷりと染料糊を付着させ、そのローラ彫刻表面上を布を通過(ローラで布を印捺)させることで布に美しく正確に捺染する方法である(凹版機)。

高速でローラを回転させることから機械捺染と称された。

ローラ本数を数多く設けることで、布を順々に多色刷りすることが出来たからである。

日露戦争以前のモスリン捺染は板揚げ友禅法という方法で、加工量が少なかったのが欠点だったが、日露戦争後は関西の稲畑染色工場、日本製布会社がローラ捺染で多色刷りを可能にしたことで欧州関係業者を注目させた。

日本の捺染が世界的に差別化技術としての地位を確立したのは昭和初期に入って、スクリーン捺染の研究が芽生えた頃が始まりとされている。

スクリーン捺染に関する研究は当時、京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)教授の田中隆吉がドイツ留学で得た知識が基礎になった。

田中隆吉は帰国後、京都の小野木二郎にスクリーン捺染法を指導し、実用化研究を進めた。それ以外に京都市立工業研究所の田中秀人も独自にスクリーン捺染型の研究を行っていたことは染色の史実で有名である。

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