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一般社団法人日本染色協会

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スクリーン捺染の原点は日本説
作業向上化はリヨン、染型技術はドイツで発展

日本の女性たちが好んで着用するテキスタイル捺染品は大体において、スクリーン捺染によるものが多い。

スクリーン捺染の染型は日本の友禅加工に使われる型紙がモデルになっている。スクリーン捺染の元祖は日本だと主張する説もある。京都近代染織技術発達史(京都市染織試験場発行)の中にも、そう書かれている。

それによると「明治40年(1907年)に英国マンチェスターのサミュエル・シモンが、スクリーン捺染に関する特許を得ているが、その後、欧州を中心にスクリーン捺染について研究が進められ、大正14−15年頃に大量生産を可能にしたリヨン式がフランスで花開いた。この方式はドイツにも波及した」と伝えている。

日本の型紙利用による友禅模様(色柄)を巧みに表現する技術が欧州のスクリーン型枠利用の捺染方式に、どのように結びついたのか、具体的な資料がない。

しかし19世紀から20世紀の初めにかけて、フランスやその周辺の欧州諸国で、日本の浮世絵の美しく繊細な表現に注目した画家や美術関係者が多かった。浮世絵は各色別に、型紙にヒントを得た製版を用い、紙に対して色を刷り重ねることで、人物、風景を見事なまでに精密に表現した。

その刷り込み技術をテキスタイルプリントに、なんとか応用したいと、当時の欧州人なら考えそうなことである。

フランスでリヨン式と称するスクリーン捺染作業方式が実現したことと、後にドイツでスクリーン捺染用の製版技術が結びついたことで、スクリーン捺染生産はローラ捺染の存在を脅かすようになった。スクリーン捺染が、幅の広い生地を楽々と捺染できるようにしたからである。

型紙使いの友禅方式では、作業がしやすいように小幅の布を台上に貼りつけ、その上へ型紙を置いて、駒ベラを用いて色剤を型紙を通し刷り込んでいく必要がある。これでは能率的な捺染生産が出来ない。

その解決策として、サイズの大きいスクリーン染型(シルク紗使用)を平台上に置いて、色糊を染型上に流し入れ、その色糊を長い棒の先端に横状箆(ヘラ)になった方式で往復1回スキージング(掻く)で捺染できるようにした。印捺が終われば、印捺した個所の隣接部分へ染型を順々に移して、スキージングを繰り返した。

この方法だと、作業の能率が上る。これがリヨン式である。この方法を後に鐘紡が採用した。

第一次世界大戦後、リヨン式のスクリーン捺染方式はイタリアのコモへ継承された。コモでは長い平テーブルの上に布を張り合わせ、テーブルの左右に一人づつ作業者を配置して、テーブル片側の1人が平テーブル上のスクリーン染型上に色糊を入れ、それを作業者が両手でスキージを押すようにしてスキージング、そのスキージを平テーブルをはさんで、真向いに位置する作業者が受け取りスキージング、スキージングが終われば、染型を順々に隣接部へ移しスキージング作業を繰り返した。これがコモ式である。

このような作業を向上させるためには、染型の改革を必要とした。それがドイツで研究された写真型技術である。

ドイツから写真製版技術が日本に入り込んで、日本の手捺染方式(スクリーン染型使用)が発達した。

日本、リヨン、コモにおける手捺染方式のテーブル形状は、それぞれ異なった形で進歩発展していった。リヨン、コモの手捺染テーブルは平テーブルでソフトベッド、日本は傾斜テーブルでハードベッドという形で作業内容が分極化していったからである。

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