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一般社団法人日本染色協会

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日本の近代化と同時期に紡織の近代化へ
中国・南通紡織博物館で事実を証明

中国・長江の北側に面して南通という街がある。 上海から船で数時間、上海から高速道路で一旦、長江沿いに西へ走り、フェリーで長江を渡り、南通へも行ける。南通といえば、最近、綿タオルの大産地として有名になったが、綿花栽培地域としても知られ、一世紀前に近代紡績工業と織物工業が芽生えたところである。

最近、南通には日本の東レ、帝人などの合成繊維工場が建設され、日本にも南通の所在が広く知られるようになった。 南通市内に紡織博物館がある。この博物館を見学して近代紡績工業が日本と大体同じ時期に成長を始めていたことを知ることが出来る。

日本で近代紡績工場の原型が出来たのは幕末だが南通も大体、同じ頃に英国のランカシャーの紡績技術を導入していたことを南通の紡織博物館を見学して知ることが出来る。

館内には幕末から日本の明治時代の頃にかけて英国から輸入した紡機、織機類を年代順に保存陳列し、南通の事業家が日本に劣らぬ精力的な事業活動を展開していた様子を知ることが出来る。館内を見て回って注目させられるのは日本の豊田織機が開発した織機が丁寧に手入れされ、保存されていることだ。

日本は明治維新以後、近代化の原動力として紡績、織布、染色仕上げ工業に力を入れ、それを起爆剤にして、数多い産業を誘発させた。染色の近代化で合成染料の消費が増え、染料工業を成長させ、数多い化学品の原料となる染料中間体工業を成長させた。又、繊維工場で多量に使用された精練用の石鹸を基礎にして界面活性剤工業を成長させた。紡織機の使用増加で金属、更に又、機械工業を発展させ、繊維品輸出の増加で船舶の発展を促がした。

それらの発展過程は第一次産業革命を促進した英国の姿と似ている。中国も19世紀末から20世紀の初め頃までは自助努力による英国型の産業革命を辿りつつあったのである。

不幸にも中国は清国政権が倒れ、以来、長びいた国内の混乱、日中戦争、毛沢東革命などで英国型産業革命化の機会を逃がしてしまった。そのことを南通の紡織博物館を見て痛感させられる。

その片鱗を偲ばれるのが博物館内の広場の時計台だ。

20世紀初め頃の南通繊維技術高等教育をした学校(後の大学)にあった時計台である。美しくが保存されている。 当時、日本も繊維技術の高等教育に力を入れ始めていたが、そのころの南通でも素晴らしい繊維技術大学に相当する高等教育機関が設けられていたのである。 以後の中国は混乱と閉鎖社会状態となり、南通での繊維技術の高等教育は他の地域に移され、毛沢東以後に至るまで、中国全体が眠れる獅子状態になった。

中国が海外と積極的に技術交流を再開するまで、世界の歴史家たちは清国以後の中国を「眠れる獅子」と評したが、往事の同地域における人々の活動ぶりを知れば、日本に劣らぬ下地(近代事業と技術力)を備えていたことを、南通紡織博物館内を散策してうかがうことができる。

※(リポート:佐々木一彦)

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